犬が眠った日

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研究分野は社会学・インターネット上の表現活動。その関係の記事多し

「誰」の歌声を作るのか―「Vocaloid」の説明書の裏書

本エントリーは、先に「『歌声を作る』―『Vocaloid」の説明書」を読むことをお勧めします。

説明書にたりなかった部分‐「キャラクター要素」

 「『歌声を作る』―『Vocaloid』の説明書」は、「Vocaloid」や「初音ミク」にあまり詳しくない人に、それらの説明を目的として書き始めた文書である。実際、発売から約1年*1経つが、社会科学系の学問ではそれほど知られている対象ではない*2。研究計画書を書いていく上でその壁にぶつかり、ではその説明を書いてみようとしたものである。

 だが実際に書いておきながら、この説明書は実際に「ニコニコ動画」や「ピアプロ」、「muzie」で使われている「Vocaloid」の現状を正確には伝えられていない、不十分であると考えている。

 なぜなら『VOCALOID2 キャラクターボーカルシリーズ01 初音ミク HATSUNE MIKU』というソフトウェアには、藤田咲」を歌わせているのではなく、「初音ミク」を歌わせているという要素があるからである。先の説明書では、「別人の声」や「別人の歌声」、「この世にはいない歌い手」のように、その声を持つ人自体にスポットを当てている。しかし、実際にはニコニコ動画などに投稿される「初音ミク」楽曲に「藤田咲」の名前が載ることは殆どなく、あくまで「初音ミク」の名前が載っている。

 もちろん、ある程度「初音ミク」を知っている人ならば、元の声が藤田咲であることは知っているだろう。

 だが、「藤田咲がやる『初音ミク』の物真似」というネタが成立してしまうほど*3、「初音ミク」との繋がりが意識される程度は低い。それにも関わらず、先の説明書では元の声主との繋がりを強調している。


動画1:藤田咲ラジオでやった「初音ミク」の物真似を実際のソフトを使って再現したもの

 増田聡が『思想地図』で書いている論文「データーベース、パクリ、初音ミク」(増田2008:151-76、以下同じ)の議論を参考にして言えば、現状の「Vocaloid」に語る上での重要な要素となっているキャラクター要素*4が抜け落ちているのである。

 このようになったのは、このキャラクター要素を「Vocaloid」の良さとして伝えきれなかったからである。「『Vocaloid』を使えば、『初音ミク』というキャラクターに歌わせることができる」と書くことはできる。だが、それがなぜ「良い」ことなのかを説明しきれる文章が思いつかなかった。自分はそう思っていても、「それは確かに良いことだ」と相手を納得させる文章が思いつかなかったのである。
 これは次の課題となる部分である。

Vocaloid」における「歌う主体」の4類型

 さて、このまま話しを進めるならば、「キャラ萌え」の議論に入っていくことも可能かもしれない。
 だがここでは、「Vocaloid」における「歌う主体」(誰が歌を歌っていると設定されているのか)の類型を考えてみたい。「藤田咲」と「初音ミク」の違いとは、誰が歌っていると設定するかという「歌う主体」の違いでもある。声という特殊性を持つ「Vocaloid」において、その主体を類型化することは何かに有益となるのでは、と考えたのがこれを取り上げる理由である。

 以下に増田の論文(増田2008)を参考にして、4つの類型を挙げる。なお、この類型は理念型*5であり、実際の例では複数の類型にまたがるものもある。

  1. 実在の人物が歌っていると設定するもの
  2. 既存のキャラクターが歌っていると設定するもの
  3. Vocaloid」用の新しいキャラクターが歌っていると設定するもの
  4. 特定の誰かではなく、抽象的な人が歌っていると設定するもの

 それではこれらの説明と、当てはまる部分が多いと思われる事例を示していく。

 1の例としては、7月末に発売予定の「がくっぽいど」が挙げられる。歌手のGacktが元の声を担当した「がくっぽいど」は、商品名からも分かるようにGacktという実在の人物が歌っていることが強調されている。つまり、「がっくっぽいど」では、「Gackt」が歌っているという設定がされている。

 ただし、「がくっぽいど」には「神威がくぽ」というキャラクターも出ており、3にも掛かっている。もっとも、「初音ミク」と比べた場合、「Gacktのキャラクター」であるので、結びつきは強いと思う。

 その他の例としては、マーティ・フリードマンが挙げた、「僕がいちばん期待するのは、プレスリー本人の声でJ-POPを日本語で歌うソフトが誕生すること!」が当てはまる*6
図1:「神威がくぽ」


 2は、アニメやゲームに登場している既存のキャラクターが、その声を出しているとするものである。例えば、「THE Vocaloid M@STER」や「ハルヒロイド」という製品が登場し、ソフトウェアを操作することによって、「アイドルマスター」に登場するキャラクターや涼宮ハルヒを歌わせるというものである。実例を挙げれば、少し毛色は違うものの「ローゼンメイデン」のキャラクターである真紅を喋らせるサービス『Alice Project』(現在閉鎖)がこれに当てはまる。この場合、声を出していると設定されているのは「真紅」であり、「沢城みゆき」ではない。

 3は、「初音ミク」などが代表例である。先に述べたように、この場合歌っていると設定されているのは「藤田咲」ではなく、「初音ミク」である。

 なお「鏡音リン・レン」の場合は、その登場以前に『アイドルマスター』の「双海亜美・真美」というキャラクター(共に下田麻美が声を担当)がいた。そのことを考えると、当初は「鏡音リン・レン」にも2の要素が幾分かあったかもしれない。現在はキャラクターが固まっているため、3に当てはまる部分が多いと考える。

 4は、特定の誰か(Gacktなどの実在の歌手や、「初音ミク」のようなキャラクター)の声として認識されるものではなく、抽象的な人(男・女)が歌っているとするものである。具体的には、「初音ミク」と同じく「Vocaloid」技術を使っている「LOLA」、「LEON」(英ZERO-G社製、2004年3月発売)が当てはまると考える。増田は「LOLA」、「LEON」を「その歌う口のみをクローズアップしたパッケージ写真は、具体的な人格を想起させることはない(あたか精霊が歌うかのようだ)」(増田2008:172)としている。サイトの説明を見るかぎり、モデルとなる歌手はいるそうだが、名前の表記は無い。それがより「抽象的な人」が歌っていることを想起させている。




図2:「LOLA」(左)、「LEON」(右)

 もっとも、「OSたん」に象徴されるように、日本では物の「擬人化」が良く行われる。実際、ピアプロで「LEON」を検索すると124のイラストがヒットする。そういう意味では、「LOLA」や「LEON」も3の部分に掛かっている。

図3:「LEON」などの海外版「Vocaloid」の擬人化例(作:豆柴

4類型における「本物」の位置

 以上が、「Vocaloid」における「歌う主体」の4類型である。どれもが実際の商品としてありうる、または実際にあるものである。

 ところで、実はこの4類型には3とそれ以外とで決定的な違いがある。それは、歌声の「本物」が別にいるかどうかである。1、2、4にはその「ソフトウェア」とは別に「本物」と呼べるものがあるが、3は「ソフトウェア」自体が「本物」となる。1には実際の歌手(生のGackt)、2には実際のキャラクター(アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』12話「ライブアライブ」におけるハルヒの歌、『アイドルマスター』内におけるそれぞれのキャラクター達の歌)、4には実際の人間、という本物がいる。一方3の場合は、調教の上手い下手はあったとしても全てが本物の歌声となる。先に述べたように、藤田咲が出す声は「初音ミク」の「物真似」となってしまう。

 このような逆転現象からも、新たに「初音ミク」について議論できるかもしれない。

まとめ

  1. 自分は「Vocaloid」のキャラクター性について、その良さをまだ説明できていない。
  2. Vocaloidの「歌う主体」には、〈1〉実際の人、〈2〉既存のキャラクター、〈3〉「Vocaloid」オリジナルのキャラクター、〈4〉抽象的な人間、という4つの類型が考えられる。
  3. 〈1〉、〈2〉、〈4〉にはソフトウェア以外に「本物」と言えるものがあるが、〈2〉はソフトウェアが「本物」となる

 議論の切っ掛けをくださった、先生に感謝。

*1:2007年8月発売。ちなみに、「MEIKO」は2004年11月、「KAITO」は2006年2月発売

*2:私が知っている所では、濱野智史増田聡の二方のみである。

*3:杉田智和がやる「坂田銀時」の物真似や、大山のぶよがやる「ドラえもん」の物真似というものが成り立ちうるだろうか。あなたが彼・彼女に会い、実際のその声を聞いたとき「おお、本物だ」と思ってしまわないだろうか。もしこれがネタとして成り立つとすれば、あえて杉田や大山がそれらの声優でないとした上で、まるで本物のような声を出しているという設定をした場合だろう。「初音ミク」の場合は、あえてそれらの声優でないとすることが自然に行われているのである。

*4:

ネット上での「初音ミク」をめぐる議論(中略)には、二つの対照的な観点の混在を見て取ることができる。一つは「初音ミク」を、従来のDTMソフトの延長線上にある、音楽制作者のための電子楽器の一つとして捉える見方だ。この立場からは、「初音ミク」とは音楽制作の可能性を一歩広げたものと評価される一方、あくまでもそれは「発展の一段階」でしかない。
もう一つの捉え方は、「初音ミク」を二次創作環境のためのソフトウェアとして捉える見方だ。〈初音ミク〉という、〈MEIKO〉よりも格段に「立った」キャラクターの存在は、物語=作品=曲を二次創作する生産=消費者の意欲をかき立てる。ここでは、音楽というメディアの中で振舞うキャラクターを操作可能にした画期的な製品として「初音ミク」は位置づけられることになるだろう
(増田2008:170)

*5:「ある現象について、現実には分散的に存在している諸特徴をとりだし、それ自身矛盾の無い理想像までに結合したもの。現実に対する規範ではなく、実在の現象を測定し、比較し、まだその文化的意義を明らかにするための手段」(広辞苑第5版)

*6:[http://s04.megalodon.jp/2007-1216-0030-31/d.hatena.ne.jp/krus/20071014/p1:title=(cache) マーティ・フリードマンふかわりょう両氏が「初音ミク」を絶賛! - 低能水死体]

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