犬が眠った日

研究分野は社会学・インターネット上の表現活動。その関係の記事多し

「共有」という言葉について

自分の研究では「共有」という言葉が重要になる、と最近今更ながら思うようになった。それで、「P2Pで音楽を共有するということは…」とか「初音ミクというキャラクターを皆で共有するということは…」という言葉が常時頭の中を回っているんだけれども、ついさっき、この「共有」という言葉の使い方に疑問がわいた。とくに、前者の「P2Pで音楽を共有」という使い方に。

疑問点

例えば、Aさんが持っている音楽CDをコピーしてBさんに渡した場合、「AさんとBさんは音楽CD(ファイル)を共有している」と一般には言うと思う。一方、Aさんが音楽CDを買って、Bさんが同じCDを買った場合は「AさんとBさんは音楽CD(ファイル)を共有している」とは一般に言わないと思う。

ここで疑問が2つ。

1つは、コピーすることが可能である「情報(著作物)」において、「共有」(「二人以上が一つの物を共同で所有すること」:広辞苑第5版、太字筆者)という言葉は変ではないか。この場合、2人の人が2つのもの音楽CDを持っているのに。

2つ目に、この場合、音楽CDという著作物自体の形式的な流れは同じである。つまりBさんが手に入れたものは、AさんからコピーしてもらったCDでも、直接店から買ったものでも、共に「複製物」であることには変わりない。それなのに、どうして前者は「共有」と言えて、後者は言えないのか。

とりあえずの答え

広辞苑の定義である「二人以上が一つの物を共同で所有すること」から考えた答え。

この場合の「一つの物」とは、「本来、複数の人がそれを独占的に支配できない物(Aさんが使っている間は、Bさんは使えない物)」を指しているんだと思う。別の言い方をすれば、「1人の人だけがそれを支配できるもの」という意味。ハサミとかペンとかは、「物理的」に「複数の人がそれを独占的に支配できない物」となっている。だから、「共有」が成り立つ。

一方著作物の場合は、「法的」に「複数の人がそれを独占的に支配できない物」となっている。そういうものを皆で使っているから、物理的には複数の人が独占的に支配できるものではあるけれども、「共有」が成り立つ。店で直接買ったものは、「法的」にもそれぞれの人が独占できるもの*1だから「共有」とはならない。

こういうことなんじゃないだろうか。

追記

2008年08月01日 id:as365n2 知的財産権, 言葉 'common' と 'share' の違いか。cf:http://twitter.com/lalha/statuses/403009822

はてなブックマーク - 「共有」という言葉について - 犬が眠った日

何かいいアイデアが浮かびそうなので。

*1:この部分は、購入者は著作権を譲渡されているわけではない、という意見があると思う。