犬が眠った日

研究分野は社会学・インターネット上の表現活動。その関係の記事多し

2次著作者が持つコントロールとは?

初めに

2008年8月15日に、2次的著作物について以下のブログエントリーが発表された。

このエントリーでは、版権元から了解を得ないで2次的著作物を作った著作者が、無断でその2次的著作物を利用されたことに対して意見を述べている。



このような、所謂「同人作家」が作る2次的著作物の無断利用は、以前から問題として取り上げられている。例えば90年代の「海賊版同人誌」に対する取り組みや、2001年頃の「Online Fanarts Protection」(2006年更新停止)という海外サイトによる2次的著作物(「ファンアート」)の無断転載に反対したインターネット同盟である。最近の例で言えば、2007年6月の「カラースタジオ騒動*1や、2007年7月のmixiのコミュニティで起こった「同人エヴァ転載騒動」、2次的著作物単体に焦点はあまり当たらなかったが、2007年12月の「Tumblr騒動3*2が挙げられる。

本エントリーでは、このエントリー発表から、その賛否の反応に至る現象を著作物利用構造の問題と考える。そして、その現象の背景を考察していく。

なお、本エントリーでは法律の観点からはあまり考察せず、規範・慣習的な部分からこの現象を見ていく。1次著作者(原著作者)に了解無しで作った2次的著作物の法的権利については、以前、「のまネコの問題点(「私物化」編) : 犬が眠った日」に書いた。

問い

What(どんなものであるか)の問題

提起する問いとして、まず「What(どんなものであるか)の問題」を挙げる。ここでは、次の大きな問いをまず考えた。

1次著作者(原著作者)、2次著作者、3次利用者という要素からなる著作物利用構造において、規範上、誰が何に関して誰に対するどのようなコントロールを行うことができる、もしくはできないようになっているのか?

最初の構成要素や「誰が」以降の部分を加えていけば、どこまででも広げられると思う。
しかし、それでは話しが複雑になり過ぎるので、ここで止めておく。
ただし、3次の人の行為は広がりを持たせるために、「利用者」(複製や貸与、改変などを含む)とした。

今回の事例に焦点を当てるならば、次の問いになる。

規範上、2次著作者は、1次著作者から了解を得ないで作った2次的著作物に関して、3次利用者に対する、どのようなコントロールを行うことができる、もしくはできないようになっているのか?

Why(なぜ)の問題

上の問いに対する答え(意見)を述べたら、次はそのような規範がなぜ行われるかの問題(「Whyの問題」)である。その背景はなんであるかの問題とも言える。

なぜ2次著作者は、自身の2次的著作物に対して○○というコントロールを行うことができる、もしくはできないのか?

主張

Whatの問題への主張

主張
無断転載を禁止・許可するというコントロールを行うことができるという意見と、できないという意見の並立がある。「2次的著作物」を議論の中心とする形で。

id:y_arimさんのエントリーは影響力が大きかったので、ブログのコメント欄やそのブックマーク欄、他のブログ(上記のブックマーク欄から主要なものを見れます)で反応をよく見ることができる。

大別すれば、id:y_arimさんは無断転載を禁止・許可するというコントロールを行うことができるという意見と、できないという意見がある。割合については正しい統計を取ることができないので述べない。

ただ、私が見た中では、これらの意見共にコントロールをする対象が「2次的著作物」であるという部分を議論の中心に置いている。可能性だけを考えるならば、「エロだから無断転載は禁止できない」や「2人組みの絵だから無断転載を禁止できる」という(一体どういう論理でその結論になるか分からないけれども)意見もありえる。それが、「2次的著作物でも」、「2次的著作物だから」という形で意見の出発点、意見の根拠となっている。

これは重要な部分だと思うので、後半の「Whyの問題」はこの部分から考えてみる。

Whyの問題への主張

主張
「応報の観点」と「所有の観点」での意見の分かれが、意見の別れの背景にあるのではないか

「2次的著作物」という部分に注目して、以下の2つの背景を考えてみた。
「応報の観点」とは、次のようなものである。

応報の観点

  1. 仮説1:自分が他人にやった行為と同様の行為を他人にやられた場合、その人はその行為をコントロール(否定)できない、というー般的な規範が存在する。
  2. 仮説2:創作という行為を1段高い位置に置く人と、そうでない人がいる(その間に、グラデーションはある)。
  3. 仮説3:1次的著作者に了解を得ないで2次的著作物を作る行為は、前者の人にとっては「創作」である。
  4. 仮説4:しかし、後者の人にとっては「法律違反」、「著作権侵害」という行為である
  5. 仮説5:前者の人にとっては、2次著作者がやった行為は「創作」であり、3次利用者がやった行為は「複製」という別の行為である。そのため、仮説1の規範は適用されない。
  6. 仮説6:後者の人にとっては、2次著作者がやった行為は「法律違反」、「著作権侵害」であり、3次利用者がやった行為も「法律違反」、「著作権侵害」である。そのため、仮説1の規範は適用される。
  7. 仮説7:前者、後者の中間ぐらいの人は、もやもやする。

仮説3と4での意見の別れは、どちらもありえない考え方ではないと思う。1次著作者に了解を得ないで作られた2次的著作物は「創作」でもあり、「法律違反」、「著作権侵害」でもあるから(そもそも2次的著作物であるかどうかの問題は、ここでは省く。法的には微妙な話しでも、同人の世界ではどちらかに区切ってしまうのならそれはそれで興味深い)。どちらも、その対象の性質を間違いなく認識している。

仮説7の人は両方の意見を併せ持っているから、正しいと言えば正しいのかもしれない。だが、この場合の「正しい」の定義自体が曖昧なので、この問いについてはここまでにしておく。

一方の「所有の観点」は、次のようなものである。

所有の観点

  1. 仮説1:所有者がコントロールを及ぼせるのは本来的に自身の所有物だけ、という規範が存在する。
  2. 前提1:2次著作者は、1次的著作者に了解を得ないで2次的著作物を作った。
  3. 前提2:2次的著作者には、了解を得ないで作った2次的著作物に対する「権利」が存在する
  4. 仮説3:しかし仮説?からは、2次著作者には1次的著作物の創作性の部分にコントロールを及ぼす正当な「資格」が存在しないとされる。
  5. 前提3:そして、2次的著作物は1次的著作物の創作性と2次著作者が創り出した創作性を分離できない。2次的著作物のうち、2次著作者が作った部分だけを2次的著作物から分離し、それだけにコントロールを及ぼすということができない。コントロールを及ぼす場合、1次的著作物の創作性の部分も必然的にコントロールを及ぼしてしまう。
  6. 仮説4:よって、2次的著作者が自身の2次的著作物にコントロールを及ぼした場合、仮説1の規範が適用される。

今回の議論では、「1次著作者へのリスペクト」という要素が何回か取り上げられた。それは仮説1の規範があり、それに従わないことが「非リスペクト」と映ったからではないかと考える

このエントリーに関する意見

以下は、文章が乱れてきます。

「1次著作者」と「リスペクト」

「1次著作者」に対する「リスペクト」という要素は、「所有の観点」だけで回収できるものでは、絶対無い。

今回の騒動で気になったのは、今回の騒動で一言も発言していない「1次著作者」(美水かがみさんか、権者で言うなら角川)がほぼ毎回言及されていること。正しく言えば、この場合言及されているのは、「想像上の1次著作者」*3であり、「実態の1次著作者」ではない。多分、立場の非対称性などが原因にあるんだろう。

でも、顔色をうかがうことさえできない状況でコミュニケーション取るなんて、かなりキツイよ。結局その行為が1次著作者に失礼かどうか分からない中で議論しても最後には無理が出てくるんじゃないか。

あと、1次著作者に作品の利用を聞くこと自体がタブー化されているようだから、同人の中で構造的にこの議論は無理なんじゃないかと思った。

「リスペクト」は何だろう。もともとは、2次的著作物を作る動機だったんだと思う。「リスペクト」を広く取って「好き」だとか「この作品面白い!、スゲー!」とかまで含めたら、そりゃ動機でしょ。
で、今は「正当化の理由」なのかな?2次創作批判の中で、「リスペクトしたって、悪いモンは悪い」とかあるけど、なんかそれは違うような気がするな。どっちかって言うと、「リスペクトがあれば許されるわけではないけど、リスペクトが無いのは許されない」という感じかな。十分条件ではないけど、必要条件ではあるみたいな。

ただ、立場の非対称性はある。「お目こぼし」という言葉を見ると、そう思う。

盗作について

2次的著作者が及ぼせるコントロールで、「盗作」(他人の作品を自分の作品と偽ること)を禁止する権利は多分認められると思う。アスキーアートでも許されない行為だから

物理的な所有について

今回のエントリーは、物理的な所有を基礎に考えていた。「応報の観点」では、「泥棒が自分に所有権があるものを盗まれた場合」を考え、「所有の観点」では、「盗んだ物(牛乳)と自分の物(コヒー)が混ざった場合、それ(コヒー牛乳)は誰が所有権を持つのか」という風に。
ただローレンス・レッシグが言うように、著作権と所有権は別の権利で同じものとされたことはなかったという点は気をつけておきたい。
あと、物理的な所有では「リスペクト」という言葉が登場しないような気がする。それこそ、「リスペクトしたって盗むな」という意見が出そうだ。やっぱり、手軽に複製できるものと出来ないものの違いがあるのかな。

海賊版同人誌について

「海賊版同人誌」については、結構多くの議論の蓄積があるようだけれども、手元に資料と言えるものが無いから、どうしたものか。ネットの同人古本屋で見つけたれけども、結構高いな。

規範について

ここでは社会的・文化的に構築されたルールを規範としているけど、これは法律と別個にあるもんじゃない。法律が規範に影響するし、規範も法律に影響する。法律が規範の中での位置も占めている。それを、一応法律的な部分を考えない、とすることは可能かもしれない。けど、いつかはそれを考える必要がある。この議論を進めていくなら、その複雑な部分に向かう必要はある。

*1:白黒同人誌の着色を請け負う「カラースタジオ」が、無断で既存の同人誌をカラーにしたものをサンプルとしてアップなどが問題となった

*2:ちなみに、[http://timeline.nifty.com/portal/show/3668/79957:title=Tumblr騒動1]、[http://timeline.nifty.com/portal/show/3668/87356:title=Tumblr騒動2]

*3:この語を使ったとき、CH.クーリーやG.Hミードが頭に浮かんだ