犬が眠った日

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研究分野は社会学・インターネット上の表現活動。その関係の記事多し

表の二次創作文化と裏の二次創作文化。あと、自分の研究

「版権元と2次創作作家の関係」も研究テーマなので、首を突っ込む。以前、別館で書いたことと、ここでのエントリーにかかる。

表の二次創作としての「イラスト投稿広場」

つまり何が言いたいのかというと、動画にしろ漫画にしろ「二次創作文化が権利者(公式)側に取り込まれたらオシマイ」って事です。
こういうのはこっそり違法にやるのが面白いんですよ。たまに権利者(公式)に見つかってウヒャーとなるのがいいんです。その際のリスクは自分自身が背負いつつ、ね。で、そういう文化を育てるのに必要なのは、権利者(公式)側のスルー力というか、「オメコ星」「お目こぼし」力だと思います*1。本当に将来、クリエイターの出現を望むというのなら。サブカル方面は特にそういうもんじゃないの?

晴れ - きこりの日記


角川のYouTubeでの二次創作公認が認められる以前から、同人が作った二次創作物が権利者公認になるという事例は頻繁に会った。それは、マンガ雑誌上やテレビ(アニメ)で行われる、その作品のキャラクターイラスト募集の企画*1である。これらのイラストは漫画の単行本に載ることもあるなど、かなり活発に利用されている*2。このような企画がいつ頃から行われたかは不明だが、この面を見れば二次創作文化はすでに「権利者(公式)側に取り込まれ」ている。
その意味で、このような二次創作文化は「表の二次創作文化」とも言える。今までの漫画の先例に従うなら、YouTubeに投稿された動画をDVDに一緒に載せるという風に、積極的に「表」に出していくかもしれない。

裏の二次創作文化

そうすると、個人がインターネットやコミケでは発表している二次創作物は、「裏の二次創作文化」ではないかと思う。「裏」と言っても完全にその存在が隠されているという意味ではなく、権利者との関わりを避けるという意味での「裏」である。今まで私が見てきた限りでは、上記のエントリーのほかに次のような「権利者との関わりを避ける」ことを主張したエントリーがあった。

また、より広く「世間」の裏という意味では、「ツンデレカルタ」のさいに出された、以下のエントリーがある。

さらに、「権利者との関わりを避ける」という状況は、「著作物利用に関して明確な契約をしない」というグレーな状況でもある。このグレーな状況を志向したものとしては、次のエントリーを見たことがある。

また、書籍での記述としては次のようなものがある

だから、少なくともそのことから、俺はこのマンガのことを好きでやってるんだとか、マンガ史的な批評の意味を含めてやっているんだとか、あまり声高に言うべきでないと、思っています。そのことだけは、常に頭の中においておかないといけない。これは唐沢君が言った言葉ですけれども、「人生の裏街道を歩んでいるんだぞ」という意識は常に持っていないとまずいと思います。

米沢嘉博監修,2001,『マンガと著作権―パロディと引用と同人誌と―』p78,青林工藝舎 発言は、とり・みき

とり先生が、いま裏街道じゃないか、ていう意識を持ってないとまずいんじゃないかっていうことをおっしゃってたんですけど、それは私も思っていて、コミケットっていうそのものは、裏街道じゃないし、非常にちゃんとしたものだと思うんですけれども、あたし自身がやっていることは、裏街道っていう意識はありますね。ファン活動っていう気持ちもあるんですけれど、元々、パロディ、私にとってのパロディの対象のになっている作品が、すごく好きだっていうのは根底にあって、(中略)私は同人誌の中でも、いわゆるアニパロっていうのをずっとやって来て、しかも女子やおい系なんですけれども、そこでそういう活動をしている人たちの殆どはもともと作品がすごく好きで、私はこの作品が好き、このキャラクターがすごく好きだ、自分の好きだという気持ちを知ってほしい、あるいは自分が好きだという作品を知って欲しい、っていうところから始まっているんだと思うんですよね、でもあとはもうエゴイスティックな感情で、描くことによってその作品が自分のものになったような気持ちになってしまうんですね。(中略)でも私は自分がパロディをやる時の大原則として、ルールとして絶対に決めているのは、権利を持っている人、基本的には原作者の人に、嫌だって言われたら、その場ですっぱり、もうごめんなさいやりません、って言って、やめる、やらないっていうことだけはいつも考えています。だから、本当はお目こぼしを頂いているだけなんじゃないかと思うんですけどね。

同上,p82 発言は、高河ゆん 太字は筆者

自分の研究での問い

  1. 二次創作作家と版権元はどのような関係を築いているのか?
  2. 権利者との関わりを避けるのは、どのような背景があるからなのか?
1に関して。

敵対関係か、 共存関係か、 お目こぼしか、これらの複合か、これら以外の何かか。
例えばアメリカで、アーティストが自身のファンサイトに「写真などを使うな」と言ったことに対して、ファンが団結して抗議するという事態があった。日本で同様のことがあるだろうか。先の高河氏の発言から考えたなら、ありえないことである。

日本で似たような例としては、エヴァに関してファンサイト側と権利者側が話しあったという例があった。この場合は、権利者側から警告が来たわけではないから完璧に同じとは言えない。しかし、権利者側と話し合うこともあまり望まない場合があることを考えると、重要な事例である。

                    • シンちゃんのお部屋をやっていて、何か印象的な事ってありましたか?

ちょうど始めてしばらくして著作権問題が持ち上りましたよね(笑)<元はfj.rec.animationで議論されてたのですが、そこでいつの間にか問題の中心の方にいましたね(苦笑)

                    • それでは、その辺りの経緯を詳しく頂けるでしょうか?

私の主観が大いに入るのですが(苦笑)、当時ホームページにエヴァの画像をキャプチャして使用してたんです。他の方の大部分のページもそうしてたから、あまり問題だとは認識してませんでした。まぁ、後から考えると(自分って)アホやったなぁ……と思いますけどね(苦笑)そういうページが、エヴァの人気と相まって相当目立ったのか、他の作品のページ等はさておき、ニュースグループで攻撃され始めたんです。当時ニュースグループGAINAX側の見解等を時々投稿されてた武田氏(GAINAX)にメールでコンタクトを取ったのもちょうどそのときでした。それから、エヴァページの制作者の方々をとりまとめるという方向に進んでいったのはご存じの通りだと思いますが……

                    • 当時のfjの議論を振り返って、何かありますか?

私は議論の中に踏み込むことはなかったのですが、みてた印象として、机上の議論ばかりに終始してたような気がします<反論があるかもしれませんが……

                    • HP作者とfjの論客の間に意識のずれが見られたと思いますし、今考えると、それが残念でしたね。

というか、魔女狩り的な雰囲気で、「お前達は犯罪者だ!」的な投稿が多かったのは残念ですね。

                    • エヴァにおける問題解決は良い方向に決着したと思いますが、その点について、当たり障りの無い(^^;意見など聞かせて頂けますか?

まぁ、武田氏からも、オフレコでは「いいように解決できそうだ」との話をいただいていたので、あまり心配はしてませんでしたが、どっちかというと議論が煮え切ってしまって、沈静化してた頃にGAINAXからの公式画像提供が始まった……というのが実体ですよね。ただ、主要ホームページ作者が、団結して問題に当たれた(武田氏にも代表として話を通せた)ので、うまくいったかな……といった感はありますね。振り返って考えると、他の作品のページ等の著作権問題のいい前例になったとは思いますね。

                    • 作品毎に基準の違う現状をどう思われますか?

結局は著作権者に決定する権利があるため、著作権者の決定には従うべきだと思います、ただ、あのころのように、ホームページ作者が団結して要望を行ったりといった事を行うと言ったことで、多少は変わってくる物だと思います。また、著作権者がファンに対して冷たい態度をとるようであれば、それはそれで、自社の信頼とか人気を落としても仕方ないと思いますが……

                    • 著作権の問題などとも絡めて、これからのファンページはどうなっていくと思われますか?

たいして変化は無いと思います。あれだけ著作権問題が取りざたされても基本的に変化がなかったと思いますし。

2に関して

なにから来るもんだんだろうな〜。おそらく、「サブカルチャー」が「サブ」という性質を重視して、「ハイカルチャー」や「メインカルチャー」になることを拒絶するのと似たような意識があると思う。
また、id:y_arim氏が二次創作で重要だと言うエロは、「表の二次創作文化」では許容されないものだ。エロを表現したいから、裏に回っているとも考えられる。
加えて、『東京大学「80年代地下文化論」講義』からの孫引きによれば、

同人誌(的な雑誌)の中心的な方法は、パロディーである。パロディーが好まれるのは、浅羽(引用者註:浅羽通明呉智英の論述をもとに述べているように(引用者註・浅羽通明『高度消費社会に浮遊する天使達』)、パロディーが、作者と読者の間に共通の教養を、しかも相当に細部にいたる共通の教養を、前提にしてのみ可能な手法だからである。つまり、それは、共有された情報に基づく連帯という、同人誌の本来の目的にきわめて合致した方法なのである。

アクロス編集室編『ポップ・コミュニケーション全書』 「引用者註」は、『東京大学「80年代地下文化論」講義』で付けられた註である。

同人誌が象徴しているものは、同じ情報をもっているということを根拠にした同様の仲間と、しかも、そのような仲間のみと連帯しようとする、オタクの強力な志向である
同上

という。そうすると権利者の介入とは、この仲間における「連帯」を崩すものなのかもしれない。ただ、最近は同人雑誌出の作家が多いことを考えると、仲間と非仲間の境界はかなり曖昧になりそうだ。

*1:少し話しはずれるが、「ファンロード」ってどんな風に権利処理してるんだろうか

*2:漫画に登場する新しいキャラクターを作るのも、同様の企画と考える

フッタ部分