著作権ができること
著作権を勉強し始めて比較的最初に読み出した本に、文化庁編著の「著作権法入門〈平成17年版〉」と岡本薫著の「著作権の考え方 (岩波新書)」がある。それらの本には、それぞれ次のようなことが書かれていた。
財産権における「○○権」の意味・・・・他人が「無断で○○すること」を止めることができる(使用料などの条件を付けて、他人が○○することを認める)権利(許諾権)
[文化庁2005、p4]
「Aさんは、X法の規定によって○○権を持っている」と言った場合、これは通常、「Aさんが、○○できる」(X法の規定がないと、Aさんは○○できない)ということを意味している。ところが、著作権の場合はこれとは違う。
例えば著作権法には、コンテンツの「コピー」に関して著作者の「複製権」というものが規定されているが、これを「著作者が自分の著作物を複製(コピー)できる、という権利」と考えてしまうと、「著作者は、著作権法で『複製権』が与えられるまでは、自分の作品を自分でコピーしてはいけなかった」ということになってしまう。そんなことはないだろう。
ここで言う「複製権」とは、「(自分の作品を自分でコピーできるのは当然として)他人が無断でコピーしようとしたら『ストップ!』と言える権利」ということなのだ。
[岡本2003、p8](太字は筆者)
両者とも、「著作権」*1は止めることが出来ることを目的とした権利だとしている。もう少し範囲を広げて、「コントロールすることができるのが著作権である」とも言えると思う。
コントロールできる場とできない場
加えて私は、著作権者自身もその著作物のコントロールを目指しているのではないかと思う。自分のコントロール化に置くことができれば、誰が複製しようが改変しようがそれ自体問題はないはずだということである。例えば漫画雑誌上のイラストコーナー(その雑誌に連載されている漫画のイラストを投稿するコーナー)と、インターネット上での2次創作物は、著作権法上は共に2次的著作物である。それなのに、一部の出版社ではインターネット上での2次創作物を禁止している。
その違いが起こるのは、イラストコーナーでは権利者側がほぼ100%のコントロールを行うことができるのに対して、インターネット上などでは権利者のコントロールが及びにくいという部分にあると考える。*2用意にコントロールができないため、とにかく厳しい方へ行くということである。
コントロールできる場である、YouTubeとニコニコ動画
ここで、YouTubeやニコニコ動画の話しになる。YouTubeやニコニコ動画は、将来の発達いかんによっては、漫画雑誌のイラストコーナーと同等のコントロールを持つことが出来る場所である。ローレンス・レッシグが述べたように、もともとインターネット上ではコードが法である。YouTubeやニコニコ動画のような整備された場所でなら、権利者はコントロールを十分に発揮できる。
「googleが考える動画ビジネス - インターネットの真の姿とは」にあるように、権利者がYouTubeやあるいはニコニコ動画に参加し始めているのは、コントロールできる場所だからである。コントロールが増えることによって、権利者達はより寛容に2次創作物を扱うことができるようになったのである。
ある意味逆説的
権利者のコントロールが増える=2次創作作家の自由が増える。
何か、非常に逆説的なものに思える。これは、後で考えていきたい。
参考リンク
追記(2008年1月25日)
1月25日に、角川グループホールディングスがYouTubeと本格的に提携することを発表しました。
投稿動画の収益化にも取り組む。YouTubeが開発中の動画識別ツールを活用し、角川グループが権利を持つ作品の無断投稿を確認した際は、そのまま公開するか、削除するかを、各権利者と相談して決める。無断投稿でも権利者の許諾が得られれば、認定マークと広告を挿入した上で公認動画として公開する。
「ユーザー投稿角川アニメ」の公式認定も YouTubeに角川参加 - ITmedia NEWS
これで、角川にとってYouTubeは「イラストコーナー(動画コーナー)」と同じになったと言っていいでしょう。マンガの世界では、版権元が募集した同人イラストがコミックやテレビアニメのエンディングに載ることがよくあります。角川も、DVDなどにYouTubeに投稿された同人動画を載せるかもしれません。またYouTubeだけでなく、ニコニコ動画にも、もちろん働きかけているでしょう。
私は、上のエントリーで「逆説的」であると書きました。コントロール強化されるのに、発表の場が確保されるのは逆説的であると。しかし、企業もマンガの先例のように同人作家たちが作ったものを求めていると考えれば、筋が通ります。両者が堂々と共存できる道が開けてきたと言ってもいいかもしれません。
このような事業が普通になる世界を見たいものです。