時代は変わった
時代は変わった。
- 複製技術(デジタル技術)の発達&一般化
- 流通技術(インターネット)の発達&一般化
もう何回も言われていることだけど、20世紀後半に現れたこの2つの変化によって著作権を取りまく環境は激変した。そして、この2つの変化が、現在の著作権議論の大本にある。
自動車が一般化し道路が整備されれば、道路交通法は全ての人の問題となる。一部の特権階級だけの問題ではない。「総表現者社会」(梅田望夫)、「一億総犯罪者」(中山信弘)、「一億総クリエーター、一億総ユーザー」(岡本薫)と呼び方は色々あるが、全ての人々が関わりうる事項に「著作権」はなった。
規範・慣習はぶつかった
ルールは、法律だけではない。国家という権力を背景としている「法律」が一番威力があり、浸透しているルールであるかもしれないが、人々が集団生活を行う中で生み出した「規範」や「慣習」もルールの一部である。
「総」の時代とは様々な人々・集団が参加する時代である。それは、既存の規範・慣習に縛られない人々、独自の規範・慣習をもつ集団が現れることを意味する。
この事態は、規範・慣習のぶつかりを招くことになった。既存の慣習・規範が新しい規範・慣習へ侵入することや(80年代のソフトウェアの著作物化、のまネコ騒動、みくみくにしてあげるJASRAC登録)、逆に新しい規範・慣習が既存の慣習・規範へ侵入こと(フリーソフトウェア・オープンソースソフトウェア、権利元による二次創作の事後承認、マイアヒーFLASH)が起こっている。
それを解き明かす
私は規範・慣習、そのぶつかりの構造・背景を解き明かしたい。現在の著作権状況は、昔、世界が「中世」から「近代」へと変わったのと同程度の重要性を持っていると考える。「近代」という時代に対しては、多くの社会学者が研究の対象とし、数々の研究を残してきた。
この時代の著作権を研究していく、これほど面白いことはない。